震災を経て何が変わったのか

どうも、ご無沙汰です。なんとか毎週更新のペースに戻したいのですが色々立てこんでましてまぁ、そろそろ落ち着いてくるかなぁなんて。

さて、今日で震災から100日とからしく、自分も一人暮らしをはじめて80日くらい経ったかなぁというところです。
仙台に来てからはもう、みんな震災の事なんか忘れちまったんじゃないかというくらい平和なわけで、そこんところはどうなんでしょうかね。
いつまでも家がぶっ壊れて~とかゴチャゴチャ口に出して言うのもアレなんで黙々と仕事をこなしている毎日ですが、津波から5日後に家に帰り、2週間くらいの間、水も電気もない状態で半壊した家で家族と過ごした日々は色々感じるものがあったと同時に忘れ難い体験でもあったわけです。

印象的だったのは、あの頃は、石巻の地元で道ですれ違う人はみんな例外なく挨拶を交わしていたのです。赤の他人に道端で挨拶されるなんて、これまでの人生の中でも鳴子峡を観光してたときに老夫婦に一回されたくらいなわけです。あたり一面瓦礫の山で、道無き道で出会う見知らぬ人すべてが「こんにちは」とか「どうも」とか頭をさげて挨拶してきた。もちろん自分も挨拶を返すわけですが、それだけでなんだか安心して気が楽になるんですよね。

うちは父、叔父、俺、弟といたので、3日で自宅内と庭の瓦礫の撤去が終わったんですが、向かいの家は男手がないのでまったく瓦礫が片付かない状態だったのでうちで片付けを手伝ったり、食い物をわけたりしていました。市内でも津波被害がなかった地域の親戚たちは毎日水や食料を持ってきてくれたり。なんというか、知ってる人、知らん人関係なく全員が協力しあっていた。

あの時の素晴らしい気持ちを忘れないようにしたいと強く思うものの、人は環境に適応する能力が半端ないので、平和な生活を送っているとやはりそういう意識が薄れていくものです。被災地域でない人間は尚更。
遠く離れた地でも危機意識を持て、という話ではなく、一度は強く持てた「協力」と「感謝」の気持ちが、大多数が形成する社会という環境によって薄れていくのが恐ろしい、と思ったわけです。

協力と感謝の対極は、恐らく孤独でしょう。例えば街を歩いていて、レジでもたつくヤツ、チャリを無灯火でかっ飛ばすヤツ、エスカレーターを塞いでいるヤツ……日常の他人の些細な行動に腹が立ってしまう。…が、その瞬間に上に書いた生活をおくっていた時の気持ちを思い出して、相殺している。協力と感謝を忘れれば、全ての他人の行いに腹が立つ。そしてその感情を表に出すほど抑えられなくなってしまうと孤立し、孤独になる。そして、孤独は何もできない。

日常がそういった尊い感情を少なからず奪っていくのならば、それは相当にまずいことです。日本はいま、有史以来最大の危機に瀕しているといっても過言ではないと思いますが、震災以降、原発、ゆっけ、ソニーの個人情報流出といった出来事が起きたが、世の中の大半の人間の意識は何も変わっていないように思える。何かが起こるたび同じ反応が起こり、ひとしきり驚いて個々に考察を重ねたあと、当事者達が必死に作った解決への流れの中で、観衆の意識も流されていく。なんだか、これを繰り返している気がしてならない。

「ホテルルワンダ」という映画に「世界の人々はあの映像を見て──“怖いね”と言うだけでディナーを続ける。」というコピーがあったが、正にそれを痛感した。震災後、アメリカのハリケーンや宮崎の豪雨による土砂崩れをボケーッとみている自分に対してもそれを痛感した。
対岸の火事と言えばそれまでだし、被災地・被害者の気持ちを共有しろというのも無理な話だ。でも、現代社会という価値観の中で確実に薄れつつある「協力」「感謝」の気持ちがまた人々の心に強く宿れば、日本はまだまだいい感じに成長できるんじゃないのかなぁなどとしみじみ思うわけです。

まぁ長くなったけど、何が言いたいのかというと「みんなイライラしすぎじゃね?」ということです。
何事も楽しくいきましょう。以上。

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